創建の時期や場所が諸説ありますが、永享八年(1436)東洞院綾小路が始まりとされています。
しかし永享十二年(1440)に取り壊されてしまいます。
康正年間(1455-57)に四条高倉で再建するも寛正元年(1460)2度目の取り壊しにあいます。
今度は三条万里小路に再建し、一門の中心地と定め繁栄していきます。
しかし苦難は続き天文五年(1536)の宗派間の紛争(天文法難)により焼失し、大阪堺へ避難する事となります。
天文11年(1542年)に一条戻橋付近で再建するも、天正十五年(1587)、豊臣秀吉の洛中整理命により現在地へ移転することとなります。
度重なる苦難のなかでも数多くの芸術家と縁をもち、
安土桃山時代から江戸時代にかけて書・絵画・陶芸・漆芸など多岐にわたり活躍した本阿弥光悦による「巴の庭」(※国指定名勝)、
同じく安土桃山時代から江戸時代初期を代表する絵師長谷川等伯の縦10m横6mにもおよぶ「佛涅槃図」(※国指定重要文化財)が残されており、
今も尚、当時の芸術家の心を感じる事ができます。
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